秋葉原

山手線の駅名の由来、知ってますか??😁

こんにちは。進路進学アドバイザーの松田です。

いよいよ2022年度から秋葉原学習センターで鉄道サービスコースがスタートしますね。

そこで今回は、山手線駅名の由来についてまとめてみました。


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<上野>

大昔、上野地域一体は東京湾に突出した岬だった。その後、海岸が後退し、陸地になると低地部分からみて、上にある野(台地)になったということで、上野という地名になった説が有力。他にも、藤堂和泉守が伊賀上野(三重県)より来た際に命名したという説などがある。

<御徒町>

「御徒」を付けて呼ばれた御徒組同心屋敷があったため。 御徒組の役目は、将軍外出の際、沿道警備などに当たることだった。また、馬上の資格がある侍ではあるが、士分格を持たない足軽以上という身分だった。

<秋葉原>

現在の所在地に幕末頃より火除地があり、そこに秋葉神社を祭ったため。秋葉神社は1888年に日本鉄道が建設していた鉄道線が現在の上野駅から秋葉原駅まで延長され、秋葉の原の土地が払い下げられたのに伴った鉄道駅の設置により、台東区松が谷に遷座された。

<神田>

付近に平将門の子孫神田氏が住んでいたからという説と、伊勢大神宮に稲の初穂を納める「神田」があったという説が有力。他にも、将門公の「からだ」がなまって「神田」、「からだの明神」が「神田明神」となったという説、将門公の「かため」がなまって「神田」、将門公が片目を射抜かれたという伝説からつけられたという説がある。

<東京>

明治時代に天皇陛下が移り住まれる際に、東の京都という意味で名づけられた。慶応4年・明治元年(1868年)7月17日に「江戸ハ東国一ノ大鎮四方輻湊ノ地、宜シク親臨以テ其政ヲ視ルヘシ。因テ自江戸ヲ称シテ東京トセン。」という詔勅により、「江戸」が改称され「東京府」となった。

<有楽町>

織田信長の弟、織田有楽斎は関ヶ原の戦いのあと、徳川家康方に属し、数寄屋橋(すきやばし)御門の周辺に屋敷を拝領しました。その屋敷跡が有楽原と呼ばれていたことから、明治時代に「有楽町」と名付けられた。

<新橋>

江戸城の外堀に芝口一丁目から渡された橋名に由来する。港区の新橋区域は関東大震災の際に大きな被害を受け地域全体がほぼ焼け野原になったが、復興の為に大規模な町名整理が行われ、現在の「新橋」という町名が誕生した。

<浜松町>

江戸時代の初めは、増上寺代官の奥住久右衛門という人が名主役を勤めていたため、「久右衛門町」と称していたが、跡役を遠江国浜松出身の権兵衛という者が務めたことから、「浜松町」と改称された。

<田町>

田畑が町屋に この地はかつて田畑が広がる土地であったが、商家が増えてきて田畑が町屋となったので「田町」と呼ばれるようになった。 昭和30年代まで「芝田町」という地名であったが、「芝」と「三田」に分割され、町名としてはなくなった。

<品川>

①目黒川は古くは品川と呼ばれ、その下流、河口付近を品川と呼んだ説、➁目黒川の河口付近は港としても栄え、よく品物が飛び交ったことから、品川となった説、③高輪(たかなわ)に対して、「品」のよい地形(土地)ということで、品ケ輪と呼ばれ、それが品川となった説、④この地域を支配した豪族が、品河(川)氏であり、そこから品川と呼ばれた説、⑤鎧の威(おどし)に使用する品革(しながわ)を生産した土地であることからという説がある。

<高輪ゲートウェイ>

大永4年の「軍記物語」に、江戸城を攻めた小田原「北条」軍が、守る「上杉」軍と激戦を展開した地として、「高縄原」の名が登場する。高縄とは、高縄手道の略語で、高台のまっすぐな道を意味している。高輪付近には、「高輪台」「三田台」「白金台」など、台のつく地名が多い。その名の通り、この付近は台地であった。

<大崎>

秩父から続く尾崎であることに由来し、これが転訛して大崎となった説と、過去に東京湾に大きな崎が突き出ていたという説が知られている。初めて記録に見られるのは正保(1644~1648)の地図とされている。

<五反田>

目黒川の谷が東西に流れ、谷周辺の水田の一区画が丁度5反だったためつけられたと言うのが有力。元禄10年(1697)の下大崎の水帳には「五反田耕地」としてあげられている。

<目黒>

目黒、目白、目赤、目黄、目青の五色の不動尊が実在し、当地に目黒不動尊があるところから、目黒という地名が生まれたという説、「くろ」は畔(あぜ)道を意味するが、馬と畔(あぜ)道を意味する馬畔(めぐろ)という音から生まれたという説、馬の牧場があり、優れた黒馬がたくさんいたため、愛驪(めぐろ)が地名となり、目黒に転化したという説、「め」はくぼ地とか谷を、「くろ」は嶺を意味するが、「め」と「くろ」という音が結合して地名となったという説などがある。

<恵比寿>

元々ヱビスビールを製造・発売していた日本麦酒醸造有限会社の貨物専用駅だったことに由来。1906年(明治39年)にヱビスビールを輸送するための駅として「恵比寿駅」ができた。

<渋谷>

昔、この付近は入江で「塩谷の里」と呼ばれていたが、その「塩谷(しおや)」が「渋谷(しぶや)」に変わったとする説、河崎重家が「渋谷権介盛国」という賊を捕えたことで、重家の領地であった谷盛庄が「渋谷」に変わったとする説、この地を流れる川の水が、鉄分を多く含み、赤さび色の「シブ色」だったため「シブヤ川」と呼ばれていたとする説、渋谷川の流域の低地が、しぼんだ谷あいだったからとする説などがある。

<原宿>

鎌倉から奥州へ通じる鎌倉街道沿いにあった村で、宿駅が置かれていたことが地名の由来。原宿の「原」についてはかつてこの一帯が千駄ヶ原と呼ばれる原っぱであり、これに由来する説がある。竹下通りは、以前その場所にあった町名「竹下町」が由来となっている。

<代々木>

一帯に村民が代々生産にあたったサイカチの木が多くあったためなどの説があるが、確かではない。 明治神宮御苑の東門近くに、「代々木の大樅」といわれたモミの木があり、その名が由来ともいう説もある。

<新宿>

「内藤新宿」を簡略にした地名。甲州街道沿いの内藤家下屋敷の一部が上地され、そこに新たにできた宿場であった。内藤あたりに自然発生的に宿ができはじめ、これがいつの日か「高井戸宿に変わる新しい宿」ということで「内藤新宿」と呼ばれるようになり、その後「内藤」という文字がとれて「新宿」だけが残った。

<新大久保>

「大久保」の地名の由来には四つの説がある。①小田原北条氏の家臣に大久保姓の者がいて、この地を領したため。②大きな窪地があったため。③この地にある永福寺の山号大窪山からとった。④江戸幕府が居住させた同心に大久保某がいた。

<高田馬場>

この地が家康の六男で越後高田藩主だった松平忠輝の生母、高田殿(茶阿局)の遊覧地(景色のよい遠望を楽しむために庭園を開いた所)であったことから、高田の名をとって高田馬場としたとする説と、それ以前にこの一帯が高台である地形から俗称として高田とも呼ばれていたため、その名を冠したとの説、その2つの由来が重なったためとの説もある。

<目白>

①この地で白い名馬を産したという説②徳川家光が鷹狩の際に「目黒」に対して呼ぶようになったという説③江戸開府のときに慈眼大師が五色不動を造立した際、白い目の不動像が置かれたため等の説がある。

<池袋>

現在の池袋駅西口のホテルメトロポリタン一帯(西池袋1丁目)に存在していた袋型の池が袋池(丸池)と呼ばれており、それが地名の直接の由来となったとされている。他にも池より亀が袋を背負って出てきた説、袋池と呼ぶ袋の形をした大きな池があった説などの所説がある。

<大塚>

この場所に大きな塚があったことに由来するが、その塚とは太田道灌が築いた物見塚とする説と、水戸藩内の一理塚とする説などまちまち。塚の数には諸説あり、一ヶ所で、塚の上に石の不動像があったとする説、二ヶ所で東大塚は鶏声ヶ窪(駒込)の土井家屋敷内に、西大塚は小日向台地上の森川家屋敷内にあり、かつての一里塚(旅行者の目印として設置した塚)であるという説、七ヶ所で、江戸城を築いた太田道灌が合図の煙を焚いたり、物見をするための塚を築いたという説もある。

<巣鴨>

大きな池があり、鴨が群れ棲んでいたことから、その名が起こったという説がある。また、街には石神井川、谷端川が流れ、多くの州や沼地があって葭が茂っており、その地形から州賀茂、菅面、州鴨、須賀茂、須賀母、洲処面、巣鴨などのいくつかの書き方がある。

<駒込>

日本武尊が東征のおりに、味方の軍勢を見て「駒こみだり」といったことに由来するとする説や、原野に駒(馬)が多く群がっている様子から起こったとする説がある。駒込の地名が文献に登場するのは「北条氏所領役帳」が最古と思われる。

<田端>

古くから、田や畑が多い地域だったからとする説、村の田畑が半分ずつであったという説などがあるが、文字通り、田の端にあったとする説がもっとも有力。崖を境に崖上を「上田端」崖下を「下田端」に分けた。

<西日暮里>

日暮里の西に位置するから。

<日暮里>

室町時代の文献に「新堀」として登場し、この地が高台で眺めがよいとともに桜やツツジが美しく、「日が暮れるまでいても飽きない里」ということから、「日暮らしの里」となり、「日暮里」となった。

<鶯谷>

元禄年間に日光門主が「江戸の鶯は訛っている」と言って、この地に鶯を放ったことに由来すると言われる。鶯谷駅の乗車人数は2万4447人で、ワースト2の目白駅(3万8008人)に1万4000人あまりの差をつけてダントツの最下位。


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